資本主義に生きる 『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』を読んで
人見知り。女子が苦手。おうち大好き。
僕は、お笑い芸人の若林正恭さんに勝手にシンパシーを感じている。
彼が著わした『社会人大学人見知り学部 卒業見込』は、彼の思考回路からなにまでが皮肉と共にコミカルに書かれている。
「あるある!」って思わず言いたくなるんだよなあ。あそこまで世の中を斜めから見てはいないけれども。
今回は、若林さんの『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』を読んだ。隙間時間にさらっと読めるエッセイが大好物な僕にとって、まさに格好の本でしたな。読書が嫌いな人はエッセイから入った方が良いと思う。うむ。
この本は、若林さんがキューバに旅行に行ったエッセイなんだけれども、いろいろと考えさせられる。資本主義、競争社会、勝ち組、負け組、スペック…
勝っても負けても居心地が悪い。
いつでもどこでも白々しい。
持ち上げてくるくせに、どこかで足を踏み外すのを待っていそうな目。
祝福しているようで、面白くなさげな目。
笑っているようで、目が舌打ちしている。
今の世の中を的確に言い表している気がするのは僕だけだろうか。
ネットの掲示板などを見ていると、誰もが評論家を気取って外野から論評している。何か意見を出すのでもなく、ああだこうだと言い散らかしている。
気分が悪い。高校の文化祭準備の時の自分を見ているようで。クソとしか言い様がない。
僕の思想はやや右よりだから、社会体制としては社会主義や共産主義には双手を挙げて賛同はできない。が、この本を読む限り、人と人とのつながりは何にも代えがたいと思った。
キューバでは、人々の関係に白々しさがないという。これは若林さんの主観であるからなんとも言いがたいが、自分の周りを見渡すと、確かに白々しさはあるように感じる。大学での関係なんかそうじゃないか?
とりあえずトモダチを作る。そのトモダチは自分の代わりに講義の出席をとってくれる。そのトモダチといることは自分にとって利益がある。そういった関係のなかから、本当の友人ができてくる。それは最初に比べるとごく少数だ。そういう友人との関係には白々しさがない。
日本でも、都市部に比べて、過疎地域や限界集落と呼ばれる地域には、まだそういった関係で構築されていると思う。野菜などをお裾分けしたり、道で会えば長話。そういった関係を「閉鎖的だ」「ムラ社会特有の陰湿性」などとも言えるだろう。しかし、祖父の実家の地域を見る限り、「人と人とのつながり」はずっと濃い。競争、広告、その他多くのものが希薄な環境には何かがある。
キューバでは、これよりも純粋な「平等」が一国全体に広がっているのだろうか。
僕は先にも申したとおり「右より」だ。競争によって世の中が良くなると思っている。皆が平等になったとしても、「勝ちたい」という動物としての本能が許さないと考えている。その点では、アメリカ型の資本主義はこれほどにないシステムだ。
「やりがいのある仕事をして、手に入れたお金で人生を楽しみましょう!」
「やりがいのある仕事をして、手に入れたお金で人生を楽しみましょう!」
そうだなあ。そのはずなんだよ。
受験を乗り越えて、「いい大学」には入ったんだ。
世の中、金だけれど金じゃない。そうだ、金じゃない。
金持ちは、資本主義社会での勝者であって、人間としての勝ち組じゃない。
そうだ!世の中金じゃねえぞ!!
ん、俺が生きているのは資本主義社会。ってことは…
若林さんの本を読むと、必ずと言って良いほど矛盾した感情が生まれる。世の中を斜めから見てしまう。人生とは決して良いものではない。それは皮肉と葛藤に満ちている。そんな感情になるんだよなあ。
しかし、某有名作家曰く
「人生に希望を見いださせるのは二流文学。人生に絶望を抱かせるのが一流文学」
って言ってたっけ。
その点では、若林さんの本は「1.5流文学」かな?
ああ~、葉巻を吸いながらモヒートを飲んでキューバンジャズに乗って踊る人々を笑顔で眺めてえ。
「やれやれ資本主義…」 どろだんご日記より